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ザ・スーパー・ポップ宣言

ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏

「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏」


「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏」の内容や彼の著作などから、ポップについて言及していきます。赤字は岩谷宏さんの著書などからの引用です。

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1.「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏」と私

人生において私が影響を受けたのは、小学生時代の「山上たつひこ/がきデカ」と中学生/高校生時代の岩谷宏さんだった。この本がでたのは81年9月であるから、私はまだ16歳の高校一年生であった。岩谷宏さんはこの本よりはむしろロッキングオンに毎月掲載される彼のコラムが好きだった。始めて読んだのは中学2,3年生だったと思う。そこでの彼は既に個々のロックアーチストのことなんかより、如何にポップ(ロック)に生きるかを説いていたように思う。(私の手元にロッキングオンが一冊も無くなって久しい。確認が取れない。すいません。)

観念的で詩的なボウイやフェリーなどのロックの詩よりも、彼の説教は具体的なポップ(ロック)を説いていたので何倍も刺激的であった。当然思想的な話も多かったのだけれども、話が日常的で具体的なものになればなるほど感銘を受けた。(なんとか彼のロッキングオン時代の執筆をまとめて単行本にして欲しいものである。)そして、高校生やがては大学生になる私は彼の説教にならい具体的にポップ(ロック)な生き方を出来る限り実践して今に至っている。

2.無権力・無独占(P.14)そして無経済

2000年頃、インターネット時代になってからたまにネット上で岩谷宏さんの著作に対する評論なり批判なりを見かけたことがあるが、どれも的外れで検討違いなものばかりだった。まともなものを見たことがあっただろうか?たまにむかっとくるようなものもあり、反論してやろうと思ったこともあったけど、ちょっと考えれば徒労に終わることが見えているものばかりだった。でも仕方ないよ、彼の独特で奇想天外で誰も聞いたことがないような語彙や概念はポップ(ロック)適性、資質、感性がないと理解できないものがあまりにも多すぎるのだ。それらは残念ながらちょっとやそっとの訓練や経験でどうなるというものではないのだ。

どれでもいいのだが、順番に見ていくと、例えばこの「無権力・無独占」なんてのがそうだな。この本ではない別のどこかで書いてあったと思うが、ジョンレノンの「人民に力を!」ではなく、岩谷宏さんは「どこも力を持たない生き方を。」となるのだな。これは普通分からないよ(笑)。この項では「社会保障によって生計を営んでいるとしても(中略)そのことを恥じない。」という表現があるが、それにならって?私のこれまでの生計も無秩序状態だったな。失業保険は昔二回満期までもらった。満期が切れてもお金に余裕がある時は就職しなかった。子どもが生まれてもフリーター程度の収入しかなかったこともあった。それらの私の行動はいろいろなところで不思議がられたようだ。今はたまたま運良く人並み程度の収入はあるが、だからといってお金に対して何ら考え方、接し方は変わらないよ。

だから収入が多いのにもかかわらず「忙しくなかなか休みがとれない、暇がない。」なんて言葉を聞くとその人をとっても哀れに感じる。「そういう生き方を選択したのはお前だろう。」と叱り付けたくなるよ。昔ロックを聴いてた奴が「暇がなくて音楽も今じゃほとんど聴いてないよ。」なんて言うのは最悪。オタク評論家の岡田斗司夫さんは自身のHP上で「忙しくて暇がない」自分を恥じていた。なかなか見所があるな、彼は。

3.岩谷宏さんが聴くレゲエとはどんなものだろう?
pablo moses
【PABLO MOSES / MUSIC IS MY DESIRE LP「A SONG ('80)」収録】

岩谷宏さんが稀にレゲエについて言及する時、よく想像したのがこのことだ。なんせ固い文章を書く彼のことだ。能天気なレゲエなどとうてい聴きそうもない。更に彼のセンスや音楽的嗜好を考慮し、いつも唯一思いつくのがこのPABLO MOSESだった。驚異的な体温の低さ、その冷めたボーカルと厳しい視線、淡々としていながら強い意志を感じるところは両者に共通する。

この「MUSIC IS MY DESIRE」という曲は、PABLO MOSESの楽曲の中では珍しく、ちょっと洒落たエレピ?が導入されているのが非常に大きな特徴だ。時折入るチープなオルガンの音も効果的。ミディアムテンポで流暢なリズムにのって歌われるのは、あくまでも体温の低い淡々としたPABLO MOSES節だ。これが見事にマッチして摩訶不思議で、かつ絶妙な音空間を作り出している。もちろん私の大好きな曲で、全レゲエのベスト20に必ず入る。(だけどこの曲を他の方が褒めてるのを見たことは皆無。なんで?)とりあえず私からこの曲に岩谷宏レゲエ賞を差し上げておくことにしよう。

4.こうすればあなたもポップ人間になれる/ファッション編(P.154)

本書が出た81年は、いわゆるDCブランドブーム前夜だった。高校生だった私はいまだアイビーだのダウンジャケットだの着てた周りの同級生を尻目に、いち早くファッション雑誌で見たビギやワイズの洗練されたセンスに憧れ、東京まで行っては大枚はたいてた。定価で買った黒めのシャツを学生服の中に着込んではファッションリーダーを気取っていたものだ。でもそれも大学時代のDCブランドブームを経て、卒業するころにはすっかり毛嫌いするようになったよ。まあ、にわとりがトサカを立てるようなもので、この年代の少年少女がファッションにのめり込むのは自然な流れなのでそれは構わない。しかし、ブランドのロゴが大きく目立つ服を身につけるのはみっともなすぎるぞ。それが裏原宿だろうが、小山田圭吾ご用達のエイプだろうが、湯村輝彦氏お気に入りのステューシーだろうがどれでも一緒だ。

「こんな流行ブランドのロゴ入りの服を着ている私ってセンスいいでしょ?」か(笑)???作る側もダサイと分かってて単に買う馬鹿がいるから作ってることに気づけ!それでもデザインが気に入っているならロゴを取って着ろ!取れないならペンキで塗りつぶせ!それで格好悪く感じたら最初から格好悪かったということだ。何十万ものヴィンテージジーンズでもタグ類は全部取り払え!ついでにシュタイフのタグも、というのは青木光恵の書いたギャグだったな。

5.顔(P.22)

もう20年以上も前の話になるが、私のレゲエの師匠がある日新宿を歩いていたら、とってもカッコいい顔に出会ったという。もうそれは周りの空気を変えてしまうぐらいのオーラが漂った感じだったらしい。そしてその日のうちにとあるレコードコンサートで「 I は、なんたらかんたら、、、」とのたまうその人物に再会したという。そう、その人物こそ岩谷宏さんご本人だったそうな。

今ネットを見て回れば、容易に彼の近影を見ることが出来るがなるほどカッコいい。この本で述べられているまさに「スッとヌケたような、きれいな顔」である。まあ、生来のルックス的要因も少なからずあるだろうが、多くは生き様や知性が如実に現れているのだと思う。

(どうでもいいが、彼は政治家の顔について少し触れているが、私はほぼ100%に近く否定的である。TV放送などや選挙ポスターなどの政治家の顔にはモザイクをかけて規制すべきである。あ、猪口邦子さんだけは別ね。)

この「ザ・スーパー・ポップ宣言(仮題)」に登場する人物で岩谷宏さん同様にカッコいいと思える顔は小沢健二だな。同じように「スッとヌケたような、きれいな顔」をしているよ。私は彼の顔が大好きだ。余計な力の入ってない、自然体で知性的な顔だ。

しかし、いわゆる渋谷系と呼ばれる音楽家ってどうして無愛想な奴が多いのだろう。例えて悪いがPIZZICATO FIVEの小西康陽だ。まあ、愛想を良くしろとまでは言わないが、あのしかめっ面は何とかならないものか。あれはあれでファッションの一部としての決めポーズなのだろうけど、馬鹿にしか見えないよ。ああいうのをカッコいいと思う彼のファンもいるのだろか、、、。

因みに私の顔は「(小山田圭吾+礼宮+細野晴臣)÷3」といったところで、ちと微妙。

6.岩谷宏語録 その1「本物のミュージシャンは、レコード会社=資本マシンから絶縁せよ!」

ネットや単行本などに収録されていない岩谷宏さんの語録を紹介してきたいと思います。第一回は『岩谷宏の「I T の道!」の 第1回 コンテンツは無料/サービス労働は有料 』。珍しく音楽ネタで80年代には読めなかった表現です。

「本物のミュージシャンは、レコード会社=資本マシンから絶縁せよ!」へジャンプ
(一番下までスクロールしてから→ボタンで次ページへ移動して下さい。)

あなたがたとえば『本物の』ミュージシャンならば、次のように考えていただきたい。そもそも元々、歌や音楽というものは「有価商品(価格のある商品)」であることがその本質なのか? 音楽というものは単に、昔の人が、それがゼニになるから作りはじめたものなのか? 音楽がお金になる/ならないは単に結果であり、音楽の本質と目的はもっとほかのところにある。
(中略)
インターネットの時代に本物のミュージシャンが実行しなければならない最も重要なことは、レコード会社やプロダクションといった資本マシンから絶縁し、完全な個人になることである。


現在ネット上には多くのフリーウェア(無料プログラム)が存在するけど、無料音楽は無い?からね。ただI-PODとか?(よく知らん)で音楽をダウンロードして聴くという、従来のレコードやCDと違う新しい媒体が一般化、大衆化してきたことで、無料音楽の可能性は高まってくると思う。誰でもいいから志のあるミュージシャンは無料音楽配信を始めてみて欲しいものである。

また、レコードやCDという形態もこれからどんどん形骸化し、その本質的な価値はますます希薄化していくだろう。その一方でレコードやCDという形態そのものに従来どおり存在価値を見出していくコレクターは相変わらずいるんだろうけどね。

7.変化 (P.27)

『ポップが、ある特定の存在に固執しないのは、常に変化にさらされていることを知っているからである。ポップは、いま持っている百万円が明日、紙きれになったとしても驚かない。』


STRICTLY ROCKERS (レゲエのページ 3.レゲエ評論 / 曲単位での紹介が少なすぎる惨状) でも書いたことなのだが、ネットを見て回っているとたまにしょうもないレコードコレクターのページに遭遇することがある。レゲエのところで見たのは良曲の紹介などせずにページ全体で延々とお皿の自慢に終始しているのだ。

何もレコードコレクターが皆悪いと言っている訳ではない。良いコレクターは沢山知っているし、私もこれまで多くの善良なコレクターの方達にお世話になってきた。ケチで馬鹿で音楽愛好の本質からかけ離れてしまった滑稽なコレクターなどは極一部なのだろうけどね。

これだけ多くの曲名を羅列したページを運営していると誤解されそうなので書いておくが、私自身はコレクターではない。音楽は基本的に聴ければMDやCDRで十分という考えであり、それを座右の銘とし、意識的に実践してきた。(そもそも貧乏な時期が多かったという要因もあるが。)

例えば、甘茶ソウル百科事典完全制覇を目指していたときのことである。出版されて間もなく泊りがけで東京にお皿探しに行ってきた時、運良く甘茶ソウル百科事典掲載の中でも1,2のレア盤を捨て値で発見できた。私はそのお皿を喉手で欲しがっている人を知っていた。彼は私の聴いたことの無い甘茶ソウル百科事典掲載の多くのお皿を持っていた。彼はそれらを私に聴かせてくれるというので、私はそのレア皿を彼にあげた。そのお皿は既に聴き終わっていたので私にはほとんど無価値だったからである。

『ポップが、ある特定の存在に固執しないのは、常に変化にさらされていることを知っているからである。ポップは、いま持っている百万円が明日、紙きれになったとしても驚かない。』


【補足】ただ私自身はコレクターではないが、コレクターやコレクションにまつわる話を聴くのは面白くて大好きだ。本秀康さんの「レコスケくん」なんてのはレコードコレクター必読と言える面白さだ。レコードだけに限らず、いわゆるマニア、オタク話は三度のメシよりも好きなぐらいだ。オタク評論家の岡田斗司夫著「オタクの迷い道」にも面白いコレクター話は多い。オタクやコレクターの「情熱、熱中ぶり、はまり具合、愛情」は深ければ深い程面白いよね。あ、自分がそうか。

8.キャバレーヴォルテール断章(P.63)

そういやあ、ロリータアイドル伊藤つかさがラジオ番組でキャバレーヴォルテールの曲をオンエアしたという話が昔よくあった。真偽のほどはどうなんだろう。何をかけたのかも気になる。たしか同じ徳間ジャパンだったんだよね。単なる都市伝説なのだろうか。どなたかご存知?

9.『たかが受験』 岩谷宏のコドモたち

82年のロッキングオンで岩谷さんが『たかが○○を重要な何かと勘違いするバカ云々』という表現を書かれていた。その数ヶ月後、関西の女子高校生がその表現を引用し『私はたかが受験を人生の重要な何かと勘違いするバカではないのだ。』という主旨のとても面白い内容の投稿をしていた。岩谷宏を消化し『たかが受験』などという表現をする女子高校生って一体どんな子だろうと想像も膨らませた。

このように当時のロッキングオンでは岩谷宏を読んで育った17、18歳ぐらいの私と同年代の方々のロックな生きざま、ポップな人生観が読めるので、それらも毎月楽しみだった。難解な岩谷さんの言葉を、自分よりずっとうまく消化し、自分の血肉にしていた方の投稿はいろいろと勉強になったし刺激的だった。それら岩谷宏のコドモたちは一体、今、どこで何をしているのだろうか?岩谷宏のコドモを自称する方の文章なぞがどこぞにあるのなら是非読んでみたいものである。

さてその『たかが受験』の関西の女子高校生だが、結局大学生になって、なんと偶然にも私と同じ大学の同じクラスだったのだ。これにはお互い驚いたねえ。結局彼女とはあまり岩谷宏な話はしなかったな。(もっとあなたと話をすればよかったと後悔しているよ、Y.Kさん。)

10.意味 (P.81) 超意味

私はアーチストの製作した音楽アルバムを丸ごとCDやレコードで聴くことはまずない。気に入った曲だけをある程度ジャンル毎にMDに纏めて聴くというのが大半だ。アルバム中せいぜい2、3曲あるかないかの曲を楽しむ為に40数分もの時間を費やしていては80年の人生では聴ききれない程世の中には魅力的な音楽が満ち溢れている。

こんな聴き方がアーチスト本位でないのは分かっている。プリンスなんかは曲がトラックに分かれてないCDを出したぐらいだからね。「トータルコンセプトに基づいたアルバムなのだから最初から最後まで通して聴かなきゃ聴く意味がないよ。」などと製作アーチストが聞いたら泣いて喜ぶ○○正直なことを言う方もいるだろう。でも、そういうのって全然ポップ(脱意味)じゃないよね。(またそういう人に限って大抵ろくに考えもせずに「このアルバムはこの曲順に並んだからこそ素晴らしいのだ。」などとのたまうのだ。)この観点からするとクラブDJの仕事ってのは意味の再構築作業と言えるな。

また、そもそも音楽に歌詞があるからって、そこにワザワザ何らかの意味を載せようとしなくてもいいのだが、アーチスト志向な音楽家たちはがんばって意味を載せようとする訳だな。だからといって一体どれほど意味のある歌詞がこれまで作り上げてこられただろうか。

意味という病に犯された、意味コンプレックスを持った多くの「アーチスト」による、不必要に無意味な「意味」で塗り固められた曲とそのアルバムを、有り難がって40数分正座してお付き合いする程こちとら暇じゅあないんでえ!と思わず江戸っ子じいさんになってしまう私。音楽家の皆さん、どうかいたいけな青少年たちに無駄に意味を与えないで下さい。(わざと難解な言葉を使う思想家や評論家も勘弁してくれ。)

しかし私が基本的に洋楽を好きなのは英語の歌詞に意味を読み取ってリアリティを感じてしまわないからなのだろうな。その点、英語圏に生まれてこなかったことに感謝してるよ。おかげで多くの素敵な洋楽を好きでいられます。

超意味という点において、アイドルポップは正しい。例えば『キラキラ、ウォゥウォゥ』などの無意味な擬声語?は最初から意味を付与しようなどという(三流の)知性を持っていないだけ潔い。「意味なんて(何も)ないさ」と歌ったフリッパーズギターにも本物の知性を感じる。

11.SCRITTI POLITTI / ASYLUMS IN JERUSALEM '82 (Rough Trade 111P)
SCRITTI ASYLUM
このサイトのタイトルに「ポップ」が付く項目で取り上げる音楽はどれも「明るく元気で高揚感があって弾けてて、、、」というサウンド面での共通点があるがこの曲は例外的にサウンド的にはさほど「ポップ」ではない。ではこの曲の何がポップかというと岩谷宏言うところの思想/感覚的な部分でポップなのだ。このレゲエ調の曲で聴かれる変テコで人を小馬鹿にしたようなベースラインが象徴するように歌詞でも人をとことんオチョクったところがポップだ。「LET HIM POP」なんてセリフも出てくるしね。

「彼を困らせよう。彼を二度と同じ(状態)にさせるな。同じ言葉(思想)をじゃべらせるな。常に変化させ続けろ。一つのイデオロギーに凝り固まらせるな。」ってのがこの曲のテーマなんだと思うけどまさにこれはこの当時流行っていてやはりSCRITTI POLITTIを好きだった浅田彰/逃走論の世界だな。もちろん岩谷宏の思想にも通じるところがある。だから岩谷宏さんがSCRITTI POLITTIについて何と言うのか楽しみにしていたんだけど、結局彼が言及したことは無かったと記憶している。残念。

まあ特別小難しい事を言ってる訳ではないけど、それを小洒落たポップな白人レゲエで韻をふんだ楽しい詩にのせたところは知性的&センスいい!って思うな。サウンドと詩の内容もきっちりリンクしているよね。

SCRITTI POLITTI に関してはこちらのサイト「初期のスクリッティ・ポリッティ」の情報が充実しています。

12.死と再生の踊り(P.55) 芸術家の死と追悼

芸術家、多くは音楽家の死に際して常々思うのは、「みんな何でそんなことに大騒ぎするの?」ってこと。自慢じゃないが私はこれまで生きてきて音楽家の死を悲しんだことなど一度たりともない。

私にとって音楽家の死とは、その人物の作る音楽をつまらなく感じた時点を意味する。元々音楽を通じてしかその人物を知らないのだから「音楽の死=人物の死」と感じて当たり前。

なのでラジオ番組、ブログなどなどで音楽家が死んだからと言って大騒ぎする方々の様子を見ると「???」としか感じないのだ。

「あなたにとってその音楽家が今死ぬことはそれほど大騒ぎする程のことですか?」と問いたい。だってあなた、普段全くその音楽家の話もしなけりゃその音楽もほとんど聴いてないじゃない?あなたにとってその音楽家は既に死んだいたも同然なんじゃないの?それに仮にこの先何年かたってその音楽家が今よりも凄い音楽をあなたに届けてくれる可能性なんてどのぐらいあったのよ?

例えばネオアコで言うと、AZTEC CAMERAのRODDY FRAMEは19歳の最初のアルバムで衆目一致の生涯最高の傑作「HIGH LAND , HARD RAIN」を発表した。翌20歳で「KNIFE」を発表。この時点で弾けるような若さのエキスは既にほぼ消滅。23歳「LOVE」の発表で、この辺りからはもう若さのエキスのかげりも無く、フリッパーズギター言う所の「お付き合い、惰性で」聴き続けた方が多かろう。ネオアコ系バンドのほとんどはほぼ例外なく似たような経緯を辿っている。(イギリス人の老け込み方は凄く早い。)

私の場合「ポップさ」に若さのエキスを求める度合いが大きいからこれは極論と言えるかもしれないが、自分の中の「AZTEC CAMERA / RODDY FRAME」は19歳、せいぜい20歳で死んでしまった訳である。23歳以降は、いくら生きていられても(作品を発表され続けても)基本的には無関心、つまり実質的に「死」んでしまったのだ。

逆に言うと「19歳のAZTEC CAMERA / RODDY FRAME」は永遠に私の中に(今もこうして)しっかりと生きているのだから、彼の肉体的死、時間的死、歴史的死に頓着する/惜しんだり悲しんだりする/必要は全く無い訳である。

13.情報化(P.112) 非ポップなるもの-村上春樹直筆原稿流出事件

ポップとは、すべての物・事を、その正体であるところのうすっぺらな情報としてみてしまう乾いた軽薄さである。
「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏 情報化(P.112) 」


直筆原稿の流出に村上春樹氏激怒とのことだが、実際に発表前に紛失し作品として掲載出来なかったのならともかく、きちっと掲載されたのだから原稿なんて用済みで不要なはず。絵画やマンガの原画とは訳が違う。確かに文芸作家の生原稿が重宝されるのは分からないでもない。広く認知された文化とも言えるだろう。でも、カッコ悪いね。村上春樹ならば「作品を発表するのが目的の全てなのだから、生原稿にどれだけの価値が付こうが僕は無関心」とぐらい言って周りを唸らせて欲しかったヨ。それを自ら寄稿して流出を明らかにしただ?(笑)。

文章を発表するための単なるツール(原稿)という、本来無価値なものに価値を見出すという行為は文化的な行為とは言えよう。然しながら余計な価値を付加するという行為にはとても愚かで、暗く湿った、非生産的、非発展的な印象を受ける。情報化時代に反し、全然ポップじゃないネ。悪しき独自存在の構築だ。文章などというものは関係性の網へと吸い込ませていく(=情報化)のが理想。

[村上春樹]直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1764125/detail)

村上さんは、寄稿で「安原さんが何故(なぜ)そんなことをしなくてはならなかったのか、僕にはその理由がわからない」と指摘し、「明白に基本的な職業モラルに反しているし、法的に言っても一種の盗品売買にあたるのではあるまいか」と非難している。

14.美少年音楽劇団 「名無し人 / ビューティフル・ピープル」

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岩谷宏がゼネラル・ディレクターを務める美少年音楽劇団 「名無し人」というのがあったらしい。ロッキングオンにも載ってたのかな?この画像は78年の雑誌「クロワッサン」からのもの。

「男の子は、ますます美しく、かわいくという願い。」
「つまりコミュニケーションの場を作り、80年代のマーケットを開拓するのが目的だということだ。」


などと書かれているが???ちっとも美少年に見えないのでアップ写真掲載はやめときます。

15.こうすればあなたもポップ人間になれる(6)自己認識(P.155) - 中村うさぎ / 私という病

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凄い!ベストセラー作家中村うさぎ、娼婦になりました。作家としての社会的権威と名声、地位を持ち、お金にも何不自由ないお金持ち作家が、デリヘル嬢ですよ。3日で11人の客をとり、全員のチン○を舐めたっすよ。しかも中には風呂入ってないチン○まであったらしいっすよ。西原理恵子のホステス体験の比じゃないね、こりゃ。

『自己の現在の社会的立場や対人的立場を完ペキに相対化し、完ペキに茶化してしまえる心情をまず確立せよ。』
(こうすればあなたもポップ人間になれる (6)自己認識 「岩谷宏/ザ・ポップ宣言(仮題)P.155」)

今回の娼婦体験のせいで、某コンテストの審査員を降ろされたりと理不尽な目に会ったりしてるらしいが、そういったリスクもかえりみず、自己の中身を入れ替え、チャチなプライドなど簡単に捨て去ることが出来る心情、その自己の独自性へのこだわりの無さ、心意気は全くポップそのものですよ。デリヘル嬢としての源氏名が「叶恭子」というのも洒落が利いてるネ。私から岩谷宏/ザ・ポップ賞を差し上げます。

16.書評 岡田斗司夫 「オタク・イズ・デッド」

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岡田斗司夫さんの濃いオタク話は大好きだ。特に「オタクの迷い道」やいくつかの同人誌で語られる濃いオタクな人の生き様、オタク道などは私(音楽オタク)と全く異なるジャンルの方々の話ながら、他人とは思えない親近感を感じ、ますますオタク道邁進への決意を新たにすることが多い。そして自ら、オタキングと名乗り、オタクの地位向上、普及活動に務めるところも好感が持てる。当然岡田斗司夫さんの単行本、近年の同人誌は全て読んでる。

然しながら、「人生テスト」などにみられる社会学的論評は彼の濃いオタク話と比べれば別人のようにつまらない。この「オタク・イズ・デッド」でも彼のつまらない社会学的アプローチが前面に出ていて萎えさせられる。要約すると、『オタクを第一、第二、第三世代に分類し、その世代間格差(特に第三世代オタクのふがいなさ)などからオタクという共同幻想は死んでしまった。』といったところ。

然しながらオタク界をとりまく現状はそう易々とステレオタイプに割り切れるものではない。若い世代にも濃い人間はいるし、古い世代にだって薄い人間は大勢いる。様々なジャンルで種々雑多なオタクたちが複雑に蠢きあっているのは、私自身ブログなどを通して毎日のようにヒシヒシと身に感じているところだ。(そしてそんな愛すべくオタク達へは、例えいかなるジャンルの者に対してでも、同好の士として親近感、連帯感をもっている。)

この先、10年後、50年後、100年後、には一体どんなオタク達がこの世の中を蠢きあうのか、考えるだけでもワクワクする。それをたかだが10年20年程度のスパンで乱暴に切り捨てるというのは暴論としか言いようがない。(これは彼自身が、若年層向けオタクコンテンツへの興味の消失などから、いわゆるオタク界全体が見えなくしまっているのも一因だろう。)まあ、文筆業で生計をたてていくというのは、そういったセンセーショナルな話題、概念をある程度無責任に垂れ流していかなければならないものなんだろう、と善意に解釈しておくとする。

(因みにこの世の複雑さ、個々人の種々雑多性などが直感的に分かっている者にとっては社会学的アプローチなど全く不要なものである。そして社会学とは、むしろ、それらの複雑性の理解を阻害する至極有害な学問とさえ言える。膨大、圧倒的な複雑性を前にした時、人はなんとかそれらを簡単に(乱暴に)理解しよう、把握しようと思うものであり、その一助となっているものが社会学である。)

ただし、この本の最後の頃になってなかなか興味深い発言もある。『ようやく(オタキングなんて)必要がない世界になれたんです。』、『個々人が、これが好きだと思ったら、それは自分の隣のひと、まわりの人に伝えるしかないんです。』である。でもこれ、このページ「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏」をご覧の方ならもう25年以上前に岩谷宏さんから見聞きして分かっていることですよね?ただ、そんな言葉が私の大好きな岡田斗司夫さんから出てきたのが意外だし嬉しかったのでこの日記を書きました。

岡田斗司夫さんにはこれからも濃く、面白い、オタクな人達、オタク話をどんどん紹介していって欲しいな。

* 岡田斗司夫 「オタク・イズ・デッド」
2006年5月24日の新宿ロフトプラスワンでのトークを完全誌上再現。
2006年8月13日発行 発行形態:同人誌 通販先:出版評論社NetShopなど

17.音楽家と犯罪

「音楽」とそれを作り出す「音楽家」は無関係である。

完成された「音楽」とそれを作った「音楽家」とは本来無関係である。私は完成された「音楽」を再生しスピーカーで聴くだけであり、そこにはもう「音楽家」が介在する場所、時間は無い。要は音楽は純粋にスピーカーから流れてきた「音」だけを聴いて「楽」しめばいいのであって、その関係に「音楽家」は全くアンタッチャブルだということだ。

更に言えば、その音楽家の容姿、服装、思想、人気、趣味、嗜好、人柄、性格、学歴、経歴、賞罰、犯罪歴などとも一切無関係だし、お皿の色・番号・レーベル名、プレスの順番、海賊盤か正規盤かサンプル盤か、ジャケットの出来不出来、流通経路、媒体、値段、希少性、評論家の評判、レコード屋の宣伝文句、ヒットの有無、時代、ジャンル名などなども「音楽」そのものとは全くの無関係だ。

そういった本来音楽とは全く無関係なことばかりに固執し音楽を聴くことは全くの邪道だし愚の骨頂だと言わざるを得ない。(もちろん、その音楽の作られた背景や歴史的位置づけなどを学ぶことによって新しく聴こえてくる音もあるだろうが、それはあくまで付加的な側面でしかない。)

その観点からすると音楽家が大きな賞を受けても、逆に凶悪な犯罪を犯したりしても、当たり前だがその音楽そのものが何か変化することは無い。そしてその音楽家に対する「音楽家としての」印象・評価・感想にも特に影響は無い。

ポップとは、関係ナイことは関係ナイと、はっきり明らかに、サッパリと、知っちゃっていることでもある。
「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏 ×情念(P.37) 」


私が愛聴する音楽は「非日常」的で「過剰な何か」を噴出しているものが多い。そういった音楽を作る音楽家もまた常人とはかけ離れた何かを持つ者だったり、特殊な状況・体験・環境におかれた者だったりする。

ギャングスタ・ラップの音楽家たちの中には、ヤクザ間抗争、薬物の売買・常用、ポン引き、強盗、銃撃、殺人などといった常人が体験し得ないような日常世界に生きている者も多い。そうした者が作る音楽の持つパワー、緊張感、迫力、甘味や辛味などの諸要素は、普段平和な日本でのったりと平凡な生活を送っている私のような者では決して作り得ない格別な味わいがある。

同様に、暴行、殺人、性犯罪、薬物乱用、タブー体験、精神疾患、自殺未遂、などなどの体験者が作る音楽が暴力的であったり甘美な快楽を呼び起こす魅力を持っていたり、この世の物とは思えない不思議なムードを持っていたりするのである。

従って、あくまで犯罪の是非を抜きにして考えれば、不謹慎な言い方になるが、音楽の作り手が素行不良であったり犯罪歴があったり、精神疾患にかかったりすることは聴き手側にとっては、むしろ歓迎すべきことでさえある。

(この項は決して犯罪を肯定・助長する為の物ではありません。犯罪は犯罪として厳粛に罰せられなければなりません。あくまで純粋に音楽の話をしていますので誤解無きようお願い致します。)

18.1973年の岩谷宏さん

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この頃は長髪がカッコイイ時代だったのかな。26歳の頃と思われます。すっきりとした知性を感じさせるイイ顔をされてますねえ。73年当時の書籍より。

19.KOTOKO / らずべりー '04 作詞KOTOKO 作曲編曲C.G MIX

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ギャルゲー「らずべりー」主題歌でKOTOKOによる超可愛い系ロリータ・ポップ。「ぽわんでちゅーちゅー」、「むにむにちゅわちゅわしゃらんららん」などという他に類を見ない独創的で自由な発想のKOTOKOによるポップな言語感覚が素晴らしい。ギャルゲーソングということで、こうしたロリータで甘くか弱く、完全に脳が空っぽ(PRETTY VACANT)な、男性の性的欲望処理にひたすら都合の良い女の子言葉が全編に散りばめられた歌詞はある意味、岩谷宏的にポップです。I'VEによるサウンドも歯切れが良く、メロディも甘くきれい。夏を題材にした明るく爽やかでちょっとエッチな歌詞に元気で陽性な乾いた曲調もイイですねー。

ゲーム公式動画(若干修正?)

涼宮ハルヒの憂鬱 朝比奈みくる版

↑個人的にこのシンクロ率の高い非常に出来の良いMAD動画により、KOTOKOさんのルックスはデフォルトで朝比奈みくるに設定されています(笑)。

「らずべりー」初回特典に同梱の「オリジナルサウンドトラックCD」収録。同じく戯画製作のゲーム「DUEL SAVIOR」初回限定版に同梱の「戯画オープニングサウンドトラックVOL.2」にも収録されていて、こちらには他にもKOTOKOによるロリータ・ポップ名曲の「さくらんぼキッス!~爆発だも~ん~」、「きゅるるんKissでジャンボ♪♪」の2曲が収録されていてお徳でオススメです。何れにしても「抜きゲー」を購入しないと音源入手不可。
明るく元気テンション高揚感疾走感グルーブメロディ器楽瑞々しさボーナス(ポップな言葉)ポップ偏差値合計
108777868566


20.ロッキングオン創刊号の頃

古い学年誌にロッキングオンの創刊号の頃、ちょうど第4号を出す頃の記事があったのでご紹介。熱心な読者なら既にご存知であろうことばかり書かれていますが、写真は結構希少なのではないかと思います。編集長の渋谷陽一が21歳で、どうにか販売数を伸ばそう、リスナー視点の真のロック評論を確立させようと熱く奮闘している様は、音楽ブログをやっている者として大いに共感できます。こうした60年代、70年代の若者の熱きパワーは音楽同様、人を惹きつけるものがありますね。あれから約40年経ち2010年代に突入した現在、こうした若者による音楽評論の熱き場所ってどこかにあるんでしょうかねえ。



21.個体論

岩谷宏さんの文章で最も私が感銘を受けたのが「個体論」だ。ネットを検索しても特にこれといった紹介が無いからこの概念は岩谷さんの造語に近いものかもしれない。

「個体論」とは、、、自然界に存在するもの(生物、植物など)は一つとして同じ物は無く、夫々がかけがえのない個性、他との差異を持った個体であり、それは一般化することは出来ないというものだ。これは所謂自然科学や社会科学(例えば分類学や社会学)が個体間の僅かな差異を無視し、全体としての傾向や特徴などから一般化していく学問であることの真逆の考え方だ。

そもそも全知全能の神なるものが存在するのなら、分類やら社会学的分析とやらが必要な訳がない。この意味においては社会学的分析などは複雑なこの世の中を理解することが出来ない、理解出来なくて不安で仕方ない頭の悪い人間の為の薬みたいなものなのだな。

右の文章の最初と最後は平気で矛盾している。分類学が、アホらしく、コッケイにすら感じられるのは、種という一般存在を最初に立て、そこに、実在するものをなんとかはめ込んでいこうとする"学者的もっともらしさの姿勢"に当人の気付かぬ喜劇と、そしてオトコ的暴力があるからである。キョウナとミズナは違う、としちまえば簡単なのである。一般への相即相似性などよりも、「差異」、「ディファレンス」に着目していくこと、それを宇宙のかぎりない豊かさとして肯定していくこと、これが明日の世界を救う唯一のカギなのだ。一般というワクで囲うこと、そのワクの内外という差別をすること、これは人類が宇宙をまきぞえにして自殺していく道である。オトコの自殺である。「オトコの光景 その粗暴なる知の解剖」より抜粋

この考え方は個人的に非常にしっくりくるし、ごく自然に受け入れられる。そして世の中の多くの事象に対処する時に大いに役立っている。例えば私が楽しんでいるオンラインゲーム「ドラクエ10」などでも非常に多くのプレイヤーが色々な目的、条件、指向、嗜好性をもってゲームをしているのだけれども、そこで自分のプレイスタイルや考え方と異なる者がいるからといって「あいつは間違っている」というようには考えない。「○○な者もいれば××な者もいる。プレイスタイルは人それぞれ。お互いの存在を尊重しあおう。」と感じられれば下らない衝突も起きない。まあ、これはほんの一例だけど、こうした個体のかけがえの無い種々雑多性こそを中心にした考え方は、もっと広く普及して欲しいものですね。

22.空論としての社会学 三流の知性 宮台真司 (AKBオタク関連記事)

前回「個体論」と真逆の考え方の一つとして社会学をあげたが、いいサンプルがあったので掲載しておく。

物格化する男性の特徴として「(1)女の過去の性愛体験に激怒したり耳を塞ぐ男」「(2)髪型や服装や挙措に一々文句を付ける男」「(3)母親の価値観を内面化し且つ母親役をさせたがる男」だといい、1つ当てはまるだけでもアウトだが、大抵の場合この3つをあわせ持っているという。「経験的に言えば、そうした物格化する男には、ストーカーを含めて嫉妬深い粘着厨や処女厨が多く―それは理屈的に当然ですが―、面白いことにAKBオタクが目立ちます。【(1)と(2)と(3)と粘着厨と処女厨とAKBオタクの、6条件】をフル装備した男も大勢います。これが【AKBオタク問題】です」(東洋経済オンラインより抜粋)

アイドルグループAKB48の熱狂的なファンを「AKBオタク」と一括りにし、彼らは処女厨(女性が処女であることに執着する人)など複数の特異な志向を併せ持っているという。あたかもAKBオタクのほとんどが5つの悪癖、嗜好を持つ駄目人間だと言っているかのようだ。

然しながら仮にAKBオタクが1万人いたとして、一体そのうちの1つでもあてはまる者、更に5つの条件全てを満たす者が「実際に」どのぐらいいるだろうか?「6条件をフル装備した男も大勢います」の大勢って一体何人のことを言っているんだろうか?まあ、せいぜい2ケタ、多くとも100人程度だろうね。その場合、残り9900人にとって宮台の分析は一体どんな意味を持つのだろうか?何らかの価値があるのだろうか?ある訳無いよな。まさに机上の空論だ。

自分の頭で考えた虚構の人物像を複数作り上げ、現実に存在する集団に無理やり当て嵌め(一般化)ようとした結果、実際の個々の人間(個体)とはかけ離れた、全く無関係な空論を展開してしまう。その結果、「まずAKBとそのヲタを叩きたい、という結論が先にあってそこに無理やり当てはめてるだけ」などと的を射た指摘を受け、赤っ恥をかくはめになる。

「個体間の差異、個体の複雑性、種々雑多性、かけがえの無さ」を念頭に置かず、「この世の中には僕の考えだしたステレオタイプな人間しか存在しませーん。」的論理を空虚に展開する宮台(や世の多くの社会学者)には呆れるばかりだが、こんな人間が一応「知性的な学者」として媒体などで幅を利かせてるってのもね(笑)。(岩谷宏さんの言葉をお借りし、この文章のタイトルを「三流の知性 宮台真司」とさせて頂く。)

【参考】

AKB好き男は「嫉妬深い、しつこい、マザコン」宮台真司の「暴論」にファン猛反発

AKBオタは、なぜリアルな恋愛ができない?







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